路傍の晶
もんじゃ焼き たあとる 店長 有本さん
すでに47歳を迎えていた。有本さんは、勤めていた会社を辞めることを決意する。携わっていたのは、特殊な塗装技術を要する仕事だった。
「かなり多くの知識を必要とされる仕事。応用力も求められるし、私の性に合わないと感じていました。ましてや、そんな中途半端な思いのまま続けていては、仕事先にも迷惑がかかってしまう。残りの人生を考えたときに、年齢のこともあって、この先、自分は何をやりたいのか見つめ直しました。それで、いまの仕事に出合ったんです」
飲食業に対する興味は漠然と抱いていた。だが歳も歳、修行に時間をかけるわけにはいかない。養わなければならない家族もいる。何かないだろうかと思案し、本をパラパラと捲っていたとき、「いまの仕事」が目に飛び込んできた。もんじゃ焼きである。
「もんじゃの作り方を教えてくれるお店を見つけたんですよ。しかも実際に食べに行ったら、美味しかった。すぐにピンと来ました、『これに賭けてみよう』と」
“出合い”からの日々は慌しかった。店の暖簾をくぐったその日から包丁を握らされ、店主の手ほどきを受けた。以降、昼間はもんじゃ焼きにまつわるすべてを学び、夜は皿洗いや品出しなど、営業の現場に立って経験を積んだ。
さらに、慌しさの理由はほかにもある。もんじゃ焼きについて学ぶ傍らで、独立の準備も同時に進めていたからだ。
「勉強と店舗設計、お金の工面。全部平行してやってました」有本さんは笑う。
「異常ともいえるスピードでしたよね。馬力があったもんだと、我ながら思います。ただ家族も背負ってるし、やるとなったからには一気に上り詰めようと覚悟を決めた。物事は燃えたときに徹底してやるべき。幸い、家族も反対せずに協力してくれました」
およそ20日間で修行を終えると、その1ヵ月後には自身の店を開いていた。
こうして立ち上げた「たあとる」は現在、開業12年目を迎えた。年齢層は幅広く、子どもからお年寄りまで舌鼓を打つ。また開店当初は少なかったメニューも、いまでは定番から風変わりな品まで、バリエーションに富んでいる。そのすべてが、有本さんの試行錯誤から生まれたオリジナルだ。
「つねに新しいものを模索しています。自分がやっているお店ですから、発想も自由。美味しければいい。もちろん、お客様に喜ばれなければ、すべての責任は私にあります」
とはいうものの、店を構えて10数年、味に対する文句が聞かれたことは一度もない。
彼は言う。
「お客さまが帰られるときに、『ご馳走様』ではなく『美味しかった』とあえて言ってくださるのは、料理人冥利に尽きますね。うれしいし、もっと美味しいものをつくろうという意欲が湧く。私は努力で何でもできると思っていますから」
来年には還暦を迎える。しかし歳を重ねてもなお、有本さんの情熱が燃え尽きることはない。
取材・文◎隈元大吾