しながわ 笑顔のバトン
春がきましたねー♪桜の季節…
卒業式や異動で別れ、入学式や新たな配属で出会い。
気持ちも新たに新年度を迎えましょう♪
今回の主役は、五反田「芳寿司 」さん
今回は、目黒川のすぐそばにあります、芳寿司さんにお邪魔することになりました!
近くにはミート矢澤や山頭火などの飲食店がちらほら見られるエリアです。
今回の主人公は、すし職人一筋30年…饗庭民之さんです。
芳寿司創業
まいぷれ:創業のきっかけを教えて下さい?
饗庭さん:
20歳のときに、仕事場のおやじさんからお店を五反田に出すと言われて。。。
当時は銀座の京橋のほうで2年程修行をしていましたが、五反田に店を出すから「お前来ないか」と誘われてその方についていったら間違いないと思ったのもありますから五反田に来ました。
この世界に入ったのは18歳でした。
(五反田に来て)6年が経った時に、親方が亡くなられて・・・まだこの世界に入って6年目の私では継ぐのも難しいからお店をたたむのかと思っていたら女将さんからやってくれないかと言われました。
誰か職人さんに教わりながらでも良いならやりますと言ってお店を継ぎました。
30歳まで居たんですよ。でも若い人たちが入り始めたから私がいつまでもいるわけにもいかなくなり、そのときに千葉の柏でお店をやるからと言われたが、店を開くためのお金も持っていなくてどうしようと思った時に、あるお客さんがお金を貸して下さりそのお金で柏でお店を開くことができました。
借りた店舗が3年更新だったため、3年間で貸して頂いたお金を全て返した。柏で昭和50年の5月から56年の1月いっぱいまでやりました。
目をつけていた五反田のこの場所で昭和56年の5月に店を開きました。この店を開く際にもお金を貸して頂いた方に保証人になって頂き、31年続けています。
縁
まいぷれ:すごくいいご縁にも恵まれましたね!
饗庭さん:お店を開けるというのは、色んな方と巡り会える縁があり、タイミングや自分でチャンスをものにする踏ん切りだと思っています。
そういったことがあったからこそ、今も続けることができています。
当時、寿司屋は40店舗あった。でも、今は10件もない…この近辺でも7件あったけど、私のところともう一店舗しかなくなっちゃいましたね。
苦労されたことは?
こういう商売は、いくらかで仕入れてそれを売って利益にする商売だからお客さんを呼び寄せるのが大変でした。
五反田は大きい会社が多いから、そこの方たちがよく来て下さいました。
とにかくお客さんを得ることが一番大変でした。